俳句の評価は、結局最後、感覚になる話

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、俳句の評価で大切な感覚の話をしていきたいと思います。

俳句は論理的に考えすぎてもいけないし、作者の想いを尊重する場面もある。

そして、俳句の評価を、これからはどのように行っていけばいいのか。

わたしの考えを、述べさせていただきます。

それでは、始めていきましょう!

俳句の評価は、論理的に考えすぎないほうがいい

俳句の評価で、なぜ、論理的に考えすぎてはいけないのか。

これは、それなりに大事な話でもあります。

人間は、論理的に作って、それなりに評価される俳句もあります。

例えば、東大生がプレバト!!で作る俳句のように、ですね。

東大生が作るすべての俳句を否定するつもりはありません。

しかし、中には、少し人間の醜の部分が入っていたり、中身が空疎であったりと、すべての俳句が美しいというわけではないと思います。

これが、俳句を論理的に作りすぎてはいけない、1つの理由です。

他にも、この世界は、科学が非常に発達してきましたが、それによって、多かれ少なかれ、人類は弊害をこうむってきました。

環境破壊や、公害などが、その例として挙げられます。

この場合、感覚、つまり人類の愛の比重が多ければ、それほど科学は、害をもたらす可能性は低かったでしょう。

つまり、俳句を作るときは、思考や論理の前に、感覚や感情などの愛が大切になってくるということです。

俳句の評価で大切な感覚の話

俳句の評価で、なぜ、感覚が大切なのか。

皆さんは、なんとなく分かってきましたか?

最近の俳句ブームでも、添削などで、論理的な側面だけしか見ずに、この俳句は最高だ!と言う人も中にはいるような気がします。

しかし、肝心なのは、そこではありませんよね。

肝心なのは、外見ではなく、中身です。

つまり、外見でいいと思っても、付き合っていく内に、この人、あんまり中身がない、ということになりかねません。

もちろん、それで、その人にとって学ぶことが多ければ、次に活かせるからよいのです。

俳句は、論理ばかりを重視し過ぎると、いつのまにか、中身がないのに、それいいね!と呼ばれる作品であふれ返ってしまう可能性もあるのです。

そこのところは、気を付けておきたいところですね。

それでは次に、俳句の評価をこれからどのように行っていけばいいのか。

いっしょに考えていきましょう。

俳句の評価をどのように行っていけばいいか

俳句を評価する上で、一定の基準で、論理的に読み解くというのは、可能だと思います。

したがって、大まかな評価基準があるのは、よいと思われます。

一方で、論理的には読み解けないけど、なんかすごく圧倒される。

もしくは感動するような作品もあることもまた、事実です。

例えば、子どもたちの詩や、俳句の作品を見てみると、技術的には、幼いような印象を受けますが、ときに大人の気づけなかったことを、堂々と正直にスパッと述べてくれることがあります。

このような場合、思考よりも感情が勝っているのです。

だから、ヘタで評価できないかも、と思っても、大人たちには感動をもたらすことがあります。

したがって、このような場合、人はある程度、俳句や詩を感覚的に評価できる能力を持っていると思います。

問題は、それを評価する大人が、論理的なことばかりしか見ずに評価する人なのか、そうでない人なのか。

その見分け方は、難しいですが、今のところ、このように述べておきます。

その人の思考と感情のバランスがとれていて、安定しているように見えるか、どうか。

つまり、自然体であるか、どうか

もしくは、SNS等で、信頼できる人なのか、どうか

その人の作品を、ある一定の評価を受けた詩人や俳人が、いいと判断するか、どうか

このような判断基準が、挙げられると思います。

参考程度にしてもらうと、ありがたいです(笑)。

ですから、人の俳句や詩を評価するときは、自分でもそのような思考と感情のバランスがとれた作品を作れているかどうか、というのが1つの判断基準になりそうです。

それから、論理的に俳句を評価せず、感覚的にも俳句を評価できると自負している方々が、とりあえず添削などを行っていくというのが、大切なような気がします。

うまく言えていない可能性がありますが、まとめで思考を整理していきたいと思います。

おわりに

俳句は、見た目ですべて分かるというものではありません。

問題は、その奥にある感情です。

人々は、ネットを使うようになって、適当に論理的な文章などを書いて、忍ぼうという人も、それなりにいるかと思います。

しかし、それでは、世の中に、正しくないのに、これはいいんだ、とか、悪いんだとか、そういうものが増えてしまう気がします。

だから、心が込もったものが、世の中にあふれていないと、いつのまにか、中身がない世界を愛するという、歪んだ図式が完成してしまうと思います。

そのようなことには、なってはいけないのだと思います。

俳句の評価でも、思考と感情のバランスが大切です。

ここで、一番大切なのは、俳句は技術がすべてではない、ということ。

論理で作られた俳句がすべてではない、ということを深く理解する、ということが大切だと思います。

そのような人たちが、自分は、論理だけでなく、感覚の部分も分かると積極的に発言し、もしくは、何も言わずに、覚悟を持って、相手を尊重した評価をしてほしいな、と切に願います。

それでは、わたしはこの辺で。

他にも、俳句や詩関連の考察を、深く、心を込めて書いていますので、よかったらご覧ください♪

かめれもん★でした(^^ゞ

HSPと人見知りの違い~シンプル解説~

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、HSPと人見知りの違いについて、解説していきたいと思います。

HSPと人見知りの大まかな違いから始まり、HSPと人見知りの長所・才能を、両方挙げたいと思います。

それでは、始めていきましょう!

HSPと人見知りの大まかな違い

まず、はじめに、HSPとはなんでしょうか?

HSPは簡潔に言うと、繊細な人です。

そして、人見知りとは、恥ずかしがり屋とも言われますし、初対面の人に苦手意識があることも、挙げられると思います。

それでは、HSP・人見知りともに、長所・いいところを探っていきましょう。

HSPの長所・才能

HSPの長所・才能ということですが、正確に幾つあるとかは言えないと思います。

HSPって、色々長所があるでしょうからね。

例えば、危機察知能力に秀でているというところがあるかもしれませんね。

わたしは、小学校のドッジボールで、かなり逃げるのが得意な人でした。

ある意味、小学校の頃の、唯一の特技だったかもしれません(笑)。

あとは、繊細な感受性でクリエイター向きというところがあるかもしれません。

外からの刺激を、いい意味で受けすぎるので、その結果、たくさんアウトプットができる、もしくはしたくなるかもしれません。

続いて、人見知りの長所・才能を見ていきましょう。

人見知りの長所・才能

人見知りは、一言で言うことは、難しいです。

抽象的で、色々な意味に解釈できるので・・・。

わたしは、HSPと違って、人見知りは、初対面の人と出会って、ある程度回数を重ねると、慣れていくという傾向があるような気がしています。

つまり、初対面の人との距離感を探っていたり、どんな人か見極めようとしているのです。

一方で、HSPがあると、人と出会うことは、何回あっても慣れないと思います。

つまり、HSPは初対面の人と出会って、数回会っても、緊張しっ放し、気疲れもしますが、人見知りは、慣れるとあまり緊張しなくなると思います。

人見知りは、人と出会う傾向が少なくなるので、想像力や、精神的な世界を探検することもあると思います。

つまり、自分を探求できます。

そして、多くの人と出会おうとしないので、少人数の方々と、密な関係を築くというパターンになると思います。

相手の気持ちを考えられる、相手の立場に立てる、共感できるという傾向から、聞き上手、カウンセラーにも向いている可能性があります。

特に、マンツーマンだと力を発揮するかもしれませんね。

それでは、記事をまとめたいと思います。

まとめ:HSP・人見知りともに大切に

HSPは、繊細な人です。

そして、人見知りは、人との距離感が苦手

HSPは、危機察知能力があったり、クリエイター向きであったりする。

人見知りは、想像力や精神的な世界を探検する傾向が生まれるので、抽象的思考ができるようになる可能性もあります。

人間関係は、狭く深く、密な関係を築けると思います。

そして、聞き上手・カウンセラーにも向いていると言えそうです。

あくまで、個人の考えですが、こんな感じだと思います。

1つでも、参考になるところがあれば、幸いです。

この記事以外にも、詩や人生に対する深い考察を心がけているので、よかったら見ていただけると幸いです。

以上、かめれもん★でした(^^ゞ

自己実現とは、なにか。シンプル解説

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、自己実現とは、なにか。その本質と、シンプルに何をすれば効果的に自己実現できるか、という点に絞って、解説できれば、と思います。

自己実現って、抽象的でわかりづらい部分もありますよね。

しかし、分かれば得るものも多いというのも、また事実です。

いっしょに自己実現とはなにか、考えていきましょう。

自己実現とは、本来の自分に目覚めるということ

自己実現とは、ありのままの自分、無理してない自分と、まず言えると思います。

普通に日常生活を営んでいる方であれば、日頃から無理して、社会に合わせている方も多いのです。

もしくは、自分は無理してない、疲れていない、と気づいていない人も、ちらほらいるかと思います。

そして、自己実現ができている人は、社会の声に耳を傾けすぎない、あるいは無視した結果、自分の心の声に耳を澄ませるようになった人が、結構いると思います。

つまり、他者の声のような余計な雑念を削ぎ落として、自分の心の声を大きくした結果、成功した方は、何人もいることでしょう。

次に、そのことについて、見ていきたいと思います♪

自己実現をするために、余計なものを削ぎ落とそう

まず、自己実現するために、瞑想を行うという方法もあります。

瞑想は、雑念、世の中の声、他者の声を、削ぎ落とす効果があります。

さらに、ストレスフリーになる効果もあります。

瞑想は、様々な効果がありますので、ぜひ一度試してみてはいかがでしょうか。

そして、自己実現するために、使命に従うという方法もあります。

その使命とは、できること、好きなこと、やってみたいこと、の3つが当てはまると思います。

それに従うことによって、自分の心の声を聴きやすくなると思います。

それから、自己実現するために、今を生きるという方法もあります。

これは、瞑想と使命を実践する中間に位置すると思います。

ですから、まず手順としては、瞑想を実践することをおすすめします。

それで、世の中の雑念を削ぎ落とし、次に使命に生きます。

自分の心の声を、大きくする方法ですね。

そして、これらの応用として今を生きるを実践してみましょう。

きっと、豊かな生活を送ることができると思います。

本来の自分も自然と出てきますよ♪

なぜなら、世間の声は、必ずしも自分の声、本来の自分ではなく、社会の声に耳を傾けすぎないことによって、抑えつけられていた自分の心の声がやっと聞こえてくる、というしくみがこの世にはあるからです。

そして、科学的根拠があるなしに関わらず、やってみようと思うのなら、やってみれば、よいのです。

それがあなたの真実であり、そのことに責任を持つ資格があります。

さて、今回の記事のカナメに入ります。

自己実現の知識を集めて、なんとなく分かったら、そのことを意識しながら日々生きよう(本気で)

自己実現の知識が集まったら、なんとなくこうすれば、自己実現できるのかも、分かってくると思います。

今は、ネットでも、本でも、いくらでも情報はあります。

そしたら、日々自己実現を意識して生きれば、それでよいのです。

壁や、自分にすぐ見える場所に『自己実現』の文字を貼っておく、または書いておくというのも、よいでしょう。

要は、自己実現を意識し続けることができれば、それでよいのです。

そうすれば、気づいたときに、実践できますからね。

しかし、ここで、自己実現を意識し続けながら、生きることってまず難しいし、ほんとにそんなことで、自己実現できるの?と思う方も、いらっしゃることでしょう。

自己実現は、いざなろうと思っても、時間がかかります

要は、自分探しですからね。アイデンティティとも言えますね。

焦らなくてもいいし、ほんとに自己実現したいなら、必ずできるはずです。

自己実現できると、信じることによって、道は開くというパターンもぜんぜんあると思います。

とりあえず、ここまで紹介してきたことを、シンプルに実行するだけでも、ある程度の効果はあると思います。

ぜひ、実践してみてくださいね。

実践が本番です。

あなたの人生は、常に本番です。

あなたのことを応援していますね♪

それでは、まとめていきます。

おわりに:自己実現とは、自然体

自己実現とは、自然体のことを言います。

しかし、当たり前のことをやることは、難しいとも言えるでしょう。

しかし、そのようなことを達成するのも、人生の目的と言えるでしょう。

瞑想で、雑念を取り除く

そして、使命に従うことを意識することによって、自分の心の声を大きくする

それから、それらを統合した今を意識して生き続けることによって、あなたの自己実現は、グッと近づくことでしょう。

いずれにしても、自己実現を実践していく中で、あなたはどんどん幸せになっていきます

なぜなら、それが自然体だからです。

人本来の生き方だからです。

そのことに気づいたあなたの、これからの人生をわたしは切に応援しています。

このブログでは、他に詩と人生を豊かに生き抜く術などを、ご紹介しているので、ぜひご覧ください♪

かめれもん★でした(^^ゞ

ここまで読んでいただいた方々、どうもありがとう!(^_^)/~

詩とポエムの違いって、なんだろう?

はじめに

はい、こんにちは。かめれもん★です(^^ゞ

今回は、詩とポエムの違いって、なんだろう?ということに触れていきたいと思います。

この記事は、リメイク記事ですが、前回よりもいい記事を書いていくつもりなので、ぜひご覧ください。

それでは、始めていきましょう!

詩とポエムの違いは、レベルの違い

まず、ポエムとは何かについて、簡単に見ていきましょう。

ポエムは、主にネットで素人の方が量産している詩で、オリジナリティがない詩が多い、と思います。

一方で詩は、本に載るなど、割と詩人で活躍している方に、いいと評価された、いわば信頼性に富む詩、と言えると思います。

この信頼性には、詩人の方が、普遍に到達して書かれているかどうか、というのが1つの基準になる気がしますが、今回はそれに触れないでおきましょう。

ポエムより、詩の有効性が確かめられること。

本物の詩が多くの人に、詩として広まっていく重要性があるのだと、わたしは思っています。

でないと、詩のかけがえのない側面が、軽視されてしまう可能性があるからです。

それでは、詩のメリット、重要性ってなんだろう、ということについて迫っていきましょう。

そもそも詩には、どのようなメリットがある?

ここでは、主に3つのメリットについて、挙げたいと思います。

まず、詩には、人の魂、つまり心の底から人を癒やす効果があると考えられます。

続いて、詩は、価値のないものに、価値を与える、もしくは気づかせる効果があると考えられます。

それから3つ目に、詩は、見えるものだけでなく、見えないものが重要だということに気づかせてくれる、など他多数、メリットが存在します。

皆さんも詩を読んでみて、心当たりはありませんか?

ポエムより詩が広まっていってほしい話

ここで、わたしの詩とポエムの違いに対する意見を述べたい、と思います。

ネット上でポエムが大量生産されて、詩がより親しまれるのはいいと考えています。

しかし、そこには偽物の詩が多いこともまた、事実です。

具体的には、パクリや、その人のらしさ、オリジナリティから来る詩ではないポエムが、詩として尊敬されている、もしくは軽蔑されている、が挙げられます。

もっと、公共の場で、いい詩が量産される必要がある、とわたしは考えます。

そして、いい詩が一般の方にも親しまれるためには、現代に生きる詩人の役目であると考えています。

わたしも含め、詩と日頃から親しんでいる方々は、ぜひ詩論を読んだり、詩作を積極的に行うなどして、詩の尊厳を取り戻していってほしいと思います。

それでは、まとめです。

まとめ

詩とポエムの違いは、簡単に言えば、レベルの違い、格の違いです。

しかし、レベルが低い詩が、詩として認められている傾向があるように感じます。

もっと詩に関わる人たちは、詩を愛しているなら、真剣に詩を評価する、または応援してほしいと、切に願います。

詩は、ひとことでこのようなメリットがある、あのようなメリットがあるとは言えません。

愛とか、希望とか、勇気が、大切なものであるにも関わらず、ひとことで言えないのと同じです。

これから現代詩を作っていく方々は、詩と真剣に向き合う必要があります。

そしてそのことが、本来地球に存在する、命の尊さ、喜怒哀楽の感情の豊かさを、人々に再認識させることができると、わたしは思っています。

それでは、今回はこの辺で。

他にも、自分なりに思う詩論や、人生論など多数掲載していますので、よかったらご覧ください♪

ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございますm(_ _)m

かめれもん★でした(^^ゞ

「障害」は「障がい」で安心 あほか

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、「障害」が「障がい」表記で、世の中動いているのは、おかしくないですか?というわたしの個人的意見を言わせていただきます。

わたしは、発達障害であり、HSPですが、普通の一人の人間です。

障害を障がい表記にする、違和感に迫っていきましょう!

障害は障がい表記で安心 おかしくないですか?

よく「障害」を「障がい」と言えば、世間的に配慮してますよ、と念入りに言われているような気がしてしまいます。

しかし、これは、そのような気持ちが問題なのではなく、普段から使う言葉の力によって、暗に障害者が差別化されていると言っても過言ではないと思います。

障がい表記にすれば、たしかに、ネガティブな印象を減らせている気がしますね。

しかし、意図的にそれを隠している表記が見え見えです。

したがって、障害が障がい表記でまかり通ってしまうと、その人には障害があるけれど、あえて障がいと言おうか、

という差別的配慮が、多くの人たちに浸透していってしまう恐れがあるように感じます。

障害を障がい表記で発言する人たちは、障害者の気持ちを理解してますか?

わたしは、今まで社会的に差別、または隔離されているに近い状況で暮らす人たちをそれなりに見てきました。

それなりにというのは、単に自分が若くて経験不足だからですが、それでも多くの人たちを見てきました。

そのような人たちを見てきて、彼らはとても心がピュアで、強く健気に生きていこうとする力にあふれているような気がしてなりませんでした。

もしくは、障害を障がい表記にする社会的な圧力にあきらめを感じているような人たちも含めて。

障害とは、その人に障害があるのではありません

社会との壁で、それは形成されます。

社会の人たち、周りにいる人たちがうまく支援できれば、強く輝くような個性を放ってくれる人たちばかりです。

そんな人たちが、言葉で安易に、差別の風習にさらされてしまうというのは、おかしいとわたしは感じてきました。

実際に、そのような人たちと会ってこなかったから、そのような言葉を軽々しく使えるのかもしれませんね。

ですが、障害者にわざわざ会いにいこうという人はいないはず

だからこそ、障害がある、もしくはそれに近い立場に存在する人たちが、自己主張する義務というか、使命があるように感じます。

自分たちのことを知ってもらおうとする努力と、それに対する多数派の人たちの歩み寄りが合わさったとき、奇跡が起こるとわたしは信じています。

障害は障がい表記ではなく、不調とする考えに賛成!

精神科医の樺沢紫苑先生は、障害を不調とするほうがいい、とたしか述べていたと思います。

わたしは、この考えに賛成です。大賛成です。

作家でもある樺沢先生だからこそ、言葉の重要性が身に沁みて分かっているのだと思います。

というか、この考えが採用されれば、少しは世の中的に差別的配慮が改善されるような気がします。

差別というのは、なかなか直るものではないと思います。

ですが、日常で使う障害を、不調と多くの人が何回も使うことによって、短期的ではなく、長期的に改善されるような気がします。

ほぼ確信に近いです。

障害だと、どうしてもその人に問題があると考えられてしまう。

しかし、不調なら、どんな人にでもあるよね、わたしたちとそんなに変わらないよね、という認識に変わる可能性があります。

おわりに:言葉ですべて知ろうとするな 言葉のその先の意味を知れ!

言葉というのは、怖いものでもあります。

言葉のその先にある意味をそれほど知らなくても、誰にでも使われる可能性があるからです。

例えば、愛という言葉を、多くの人はその意味や本質をそれほど理解できていないでしょうが、適当に生半可な気持ちで使うこともできるのです。

障害者の方々は、本来、わたしたちと同じ命が宿っています。

あたりまえと言えば、あたりまえのことですよね。

わたしたちは、同じ人間ですよね?

すれ違うことがあってもお互いに寄り添えば、分かち合える可能性もあると思っています。

ですから、わたしは、障害者と世間的に言われる人たちが、勇気を持って、発言していくべきだと思っています。

そのために、社会や人というものをよく分かった上で、公正な意見を述べることが、この先、多くの人たちの未来を、より明るく、楽しい未来にできるとわたしは信じています。

今回は、少し重めの話で申し訳なかったです。

しかし、わたしは言わなければいけないことは言うか、行動に起こすタイプなので致し方なかったと思われます(笑)。

今まで、それで何度も人とぶつかってきたので・・・。

それでは、この辺で(^_^)/~

かめれもん★でした(^^ゞ

人見知りは克服せんでええ話

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、人見知りは克服せんでええ、というタイトルで話を進めさせていただきたいと思います。

人見知りは克服せんでええって、どういうこと?

人見知りは、克服した方がいいんじゃないの?

それも分かりますが、この記事で人見知りのことについて、理解を深めていきましょう。

それでは、始めます!

人見知りでもいいじゃないか! 克服するのは辛いじゃないか!

まず始めに、言わせてください。

人見知り=その人の魅力がない、というわけではない、ということです。

どういうこと?って、思いますよね。

人見知りの人たちは、普段、その人の魅力というものがあるわけです。

でもそれが、人見知りによって出せない

つまり人見知りは、その人の外見、1枚の仮面に過ぎないということです。

ほんとは、その人に、魅力が詰まっているのに!

だから、人見知りであることを自分で責めすぎると、魅力は半減してしまうので、注意した方がよいと思われます。

そして仮に、人見知りを短所とするとして、その短所を克服しても、能力値が平凡になってつまらなくなるだけではありませんか?

人は、長所をできるだけ伸ばして、短所は克服しないというのが、その人の魅力を上げることに、繋がっていくと思います。

今は多様な価値観が認められる時代 ネットもあるからね

そして今は、グローバル社会で多様な価値観を認めるしかなくなっていますし、みんな同じ人間なんだよね、と理解されつつあると、わたしは思います。

つまり、世界の分断が薄まって、1つになってきている。

ネットを通じても、加速的な文明開化(いい意味での)があり、今まで発言しようにも発言しにくくかった人たちが発言しやすい社会になってきました。

これは、ほんとに革命と言うしかありません。

したがって、この先の未来は、人見知りにとって明るい可能性が高い、と言えます。

人見知りにとって、住みやすい世界になってきているということですね。

皆さんは、感じていますか?

どうしても人見知りを克服したいなら、本気でスモールステップを考えよう

さて、話は少し変わりますが、YouTubeで、長年発信活動を続けている樺沢紫苑先生は、人前で緊張を緩和するためには、結局「慣れ」だと言っています。

これは、人見知りにもある程度言えることであって、たくさんの人と出会う機会を通じて、人の本質に気づいていくことができるのです。

そうすると、だんだんと恐れの気持ちが少なくなってきて、慣れてくる、と思います。

しかし、人見知りの方は、そう簡単に克服するのって、難しいですよね。

だから、まずは、ネットを通じて、人と関わるというのを積極的に行ってみてください。

人というのは、ほんとはリアルな人と交流すべきなのはもちろんなのですが、ネットで交流して、リアルでも出会うと、少しは緊張が緩和されて、それを継続していくと、自然と人見知りが薄まっていたという現象も出てくると思います。

ですので、人見知り克服には、段階が必要。

信頼できる人たちといっしょに色々なところに行くのもいいと思うし、車を使える人はそれで、近場や遠くを訪れてみてもいいのかもしれませんね。

そのような方法で、徐々に人に慣れていくのです。

コツというのもあります。

最初の段階を高く設定しすぎないことです。

そして、最初の段階をクリアして慣れてきたら、加速的にレベルアップできると思いますので、ぜひ参考にしてみてください♪

おわりに:人見知りを責めないで 人見知りでも魅力はあるでしょ!

人見知りというのは、その人本来の姿ではないと言えます。

断言させていただきます。

ですから、人見知りと呼ばれる方は、自信をなくしてほしくない

あなたらしい魅力が、まだ開発されていないか、それが出るのを制限されているか。

そのようなものが当てはまると思います。

人見知りの方にとって、時代は前向きに傾いてきています。

だから、大丈夫です。

あなたが一人ぼっちでも、この話に共感したあなたには、わたしがいます!

そして、どうしても人見知りを克服したい方は、ネットを通じて人と交流して、もし人前にも行ける、この人なら会っても大丈夫と思うなら、その人に会いに行くのもいいと思います。

スモールステップ、最初の段階に気をつけてくださいね。

わたしも、人見知りで今まで、苦労してきましたが、今は、そんな自分を愛せています。

皆さんも、人見知りをどうか責めずに、あなたらしい可能性を、これからも見つめていってほしいと思います。

それでは、わたしはこの辺で。

ここまで読んでいただいた方々、どうもありがとう。

他の記事も、誠心誠意心を込めて書いているので、よかったら見ていってくださいね♪

かめれもん★でした(^^ゞ

俳句の取り合わせって、具体的になんだったっけ? 取り合わせを深堀ろう!

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、俳句の取り合わせって、どんな感じだったっけ? もっと詳しく知りたい方向けの記事となっております。

俳句の取り合わせは、できるとほんとに面白いですからね。

自分なりの世界観も出せますし・・・。

では、始めていきましょう!

俳句の取り合わせとは?

俳句の取り合わせって、どんな感じ?と思う方は、もうそれなりに俳句のことをちらほら知っているかもしれません。

取り合わせとは、2つの物(言葉)を組み合わせることによって、新しい味を生み出す俳句の型です。

主に季語と、別のもの(描写)が組み合わさって、独自の世界観が出るのですね。

それでは、取り合わせをもっと詳しく知るために、一物仕立てというものと比較してみましょう。

一物仕立てと取り合わせの違い

一物仕立ては、主に季語の描写だと思われます。

そう考えてよいでしょう。

ただ描写すればいいだけではありません。

季語の本質を捉えて、美しく描写するという感じでしょうか。

その一方で、取り合わせは、意外な物と物を組み合わせることによって、新しい世界観、妙味を生み出す俳句の手法と呼べるでしょう。

つまり、取り合わせは、どんな季語と、どんなものを描写するかが、鍵を握っていると思われます。

それでは、取り合わせのコツ、本質を見ていきましょう!

取り合わせのコツ(本質)をご紹介

これはですね。

正直、センスでもあり、慣れでもあると、わたしは思います。

ですから、俳句をただひたすら作って、取り合わせは作れるときに作るといった感じでしょうか。

あとは、他のサイトで取り合わせの例を見てもらうとか、そんな感じでしょうか(笑)。

いずれにしても、取り合わせというのは、すぐにできるから、いいというわけではないと思います。

イチロー選手も言っていましたが、結果よりも過程(プロセス)が大事だということです。

つまり、取り合わせをうまいこと作っていくよう努力していくことに面白みがあり、しっかりと俳句歴を積んで見事に創作できるからこそ、達成感もあり、人からも面白いと言われる俳句が作れるのだとわたしは考えています。

ですから、俳句の取り合わせのコツは、俳句を作っていくプロセスを楽しんでいく中で、熟達していくというのが、本質だと思われます。

それでは、今回のまとめです。

おわりに

俳句の取り合わせは、2つの物をいかに組み合わせるかが大事だと述べました。

そして、俳句の取り合わせは、付かず離れず

正直、これも大事です。

2つの物は、なんとなく違うんだけど、合わせると、なんか雰囲気いいよね、という感じになるとベストです!

そのことを踏まえた上で、俳句をどんどん作っていきましょう!

取り合わせは作れるときに作り、できたかどうかよりも、取り合わせと向き合っていく中で、いつか人からも、いいね!と言われると嬉しいですね♪

それでは、わたしはこの辺で。

今回もここまで、お読みいただき、ありがとうございます。

次回も、いい記事が書けるよう、奮闘していきたいと思います(^^ゞ

かめれもん★でした~(^_^)/~

『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとうか?

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?ということについて、考察していきたいと思います。

この記事は、『一寸の虫にも五分の魂』の意味が知りたい方『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?と疑問に感じている方に、おすすめの記事となります。

ぜひ、最後まで見ていただけると幸いです。

それでは、始めていきましょう!

『一寸の虫にも五分の魂』って、どんな意味?

この言葉の意味は、次のようになります。

たとえ、小さな体であったとしても、その体の半分に魂が宿っているという考えであり、弱者に対する強者の戒めたとえ弱者であったとしても・・・のような奮起の意味が込められているようです。

言葉の意味は、なんとなく分かっていたけれど、使い方とかを知ると、そんな意味があるんだ、と発見もありますね!

それでは次に、『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?ということについて、深く考察していきたいと思います。

『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにある?

『一寸の虫にも五分の魂』が、ほんとにあるかどうか。

わたしは、あると思っています。

なぜかというと、そう感じるからです。

答えになっていないですかね(笑)。

もう少し言うと、虫に命がないと、どうしてそう言えるのか、ということです。

体験談を交えつつ、具体的に解説していきましょう。

『一寸の虫にも五分の魂』の体験談

例えばですけど、虫を殺した、あるいは、殺すつもりはなかったけれど殺してしまった、殺すしかなかった。

色々あると思います。

殺虫剤で殺そうとした虫が、まだかすかに息をしている、あるいは動いていたとしましょうか。

そのとき、その苦しんでいる姿を見て、悲しくなっている人の心は嘘なのだろうか、ということです。

ここ重要です!

この心こそ、『一寸の虫にも五分の魂』がある証拠ではないのだろうか、とわたしは思うのです。

なぜなら、もし虫に命がないのであれば、別に死んだって、ゴミ箱に放られたり、道端で潰されても、何も思うわけがないのです。

しかし、殺した虫に、何らかの感情が渦巻くということは、どうでもいい命ではないということを、物語っているのです。

これが、『一寸の虫にも五分の魂』の、具体的な証明事例です。

まとめていきます。

おわりに

『一寸の虫にも五分の魂』の意味や使い方を知ることによって、新たな発見や、日常を豊かにもできそうですね。

『一寸の虫にも五分の魂』は、わたしは、幼い頃からそうだと思って生きてきました。

だから、平気で虫を殺す人たちの傍で、楽しんでいる演技?をしなければいけなかったのは、ほんとうに辛かった。

虫を殺して、罪悪感や、ごめんねという感情が渦巻くのは、大切なことです。

もちろん、それに支配されすぎてしまってはいけないと思いますけれど・・・。

この記事で、少しでも、『一寸の虫にも五分の魂』の大切さ、奥深さが分かってもらえると幸いです。

ここまで、読んでいただいた方々、どうもありがとう(^_^)/~

かめれもん★でした(^^ゞ

初心者にもわかりやすい自由律俳句の作り方講座

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、初心者のための自由律俳句の作り方講座ということで、自由律俳句とは何ぞや、自由律俳句を実際に作っていきたいけど、何から始めていいんだ、みたいな人たち向けの記事となります。

この記事を読んで、ぜひ自由律俳句の魅力を、多くの人たちに伝えていってくれたらな、と思って書いていきます。

それでは、始めていきましょう!

自由律俳句とは何か?:自由律俳句は、リズムが命

自由律俳句って、たまに聞くけど、いったいそれはどのようなものなんだ、というと、とてもシンプルです。

想いがリズムになり、それが一行で表される強い詩のことです。

つまり何が言いたいのか。

自由律俳句において、リズムは最重要事項といってもいいでしょう。

その他の特徴に、切れ字がないとか、口語が多いとか、ありますけれど、基本的に、自由律俳句を鑑賞するときは、このリズムに乗って感じられる、その作者の想いを重視することが大切です。

それでは、自由律俳句の作り方講座に入っていきましょう。

自由律俳句の作り方その1:下手でもいいから、まずは作ること

自由律俳句で書くといっても、書くのを躊躇する人がいると思います。

それはなぜか。

いきなり書いて、変な句ができたらどうしよう、とか。

自由律俳句がどんなものか、分からないからまず調べて、とか。

だいたいそのような感じではないでしょうか。

しかし、自由律俳句は、考える前に行動するくらいの気持ちで、さっと2、3句書いてみたらいいのです。

周りを見渡してください。

なんでもいいから、気になったものとか、人とかを描写してみるのです。

散文的でもいいから、自由律俳句っぽいものができたらそれで大成功です。

それでは、次に参ります。

自由律俳句の作り方その2:自己流を極めること

自由律俳句は、そもそも、普通の定型俳句よりも、芸術性の方向に向かっていったと思われます。

つまり、自由律俳句を作りたいという方は、簡単そうだから作ろうと願っているか俳句よりももっと気持ちを最大限に表現したい、という2タイプに分かれると思います。

ここでは、後者の方たちに伝えていこうと思いますが、自由律俳句は、書いて書いて書いて、書きまくるのです。

それが、上達の究極の奥義です。

要は、慣れですね。

そうすれば、自ずと、リズムは身に付き、自由律俳句はうまくなっていることでしょう。

それでは、次に参ります。

自由律俳句の作り方その3:分からなければ、自由律俳句の句集を読んで、真似てみること

どうしても、自由律俳句って、どう作るのかなあ、と迷う方は、本物の自由律俳句を見てみることを、おすすめします。

例えば、尾崎放哉、種田山頭火、住宅顕信、最近では、又吉直樹さんやせきしろさんの本がおすすめですね。

一度、読んでみるのもいいと思います。

『蕎麦湯が来ない』(1,540円↓)

ここで、重要なのが、下手な自由律俳句を見て、こういうものが自由律俳句だと、決めつけないことです。

自由律俳句にも、上手い下手は、ハッキリとあり、それなりの熟練者であれば、見分けは付きます。

あくまで、いいお手本を見て、自由律俳句の上達に役立ててくれることを願っています。

それでは、まとめです。

まとめ:自由律俳句は、面白い!

自由律俳句は、リズムが大事です。

リズムにすべてが詰まっているとも言えるかもしれません。

作者の想いが、リズムにピタッとハマっているかということですね。

なんか、カタカナばっかになりましたけど、すいません(笑)。

始めは下手でもいいし、誰に見せるとか、そういうものではないと思うので、積極的に周りの気になったものを描写していきましょう。

どんどん書いて、どんどん書けば、ほぼ誰でも上達は可能なことだと思います。

なぜなら、それは慣れの問題と言えるからです。

自由律俳句を誰にも見せる必要がなければ、思う存分書きまくれるので、慣れの問題は、誰にでも克服できることでしょう。

続かないなら、向いていないような気もしますし、そんなときはやめましょう。

無理は禁物です。

本物の自由律俳句を見ながら、自由律俳句は、こういうものか、と考えていくのもいいし、自分なりのこれが自由律俳句だと思うものを追究しても構いません。

あなたらしい自由律俳句は、世界でもかけがえのない財産になるでしょう。

ここまで見ていただいた方々、ありがとうございますm(_ _)m

かめれもん★でした(^^ゞ

ソクラテスの言葉『無知の知』わかりやすく考察

はじめに

はい、こんにちは。かめれもん★です(^^ゞ

今回は、哲学者であるソクラテスの言葉『無知の知』について、自分なりに深く考察し、わかりやすく伝えていければ、と思います。

まず、ソクラテスの『無知の知』について大まかに解説し、それに対する考察等を施し、最後に現代社会にどう役立っているかについて、考えていきたいと思います。

それでは、始めてまいります。

ソクラテスの『無知の知』とは?

ソクラテスの無知の知が、どのように生まれたか。

それについては、正直、興味がない、と思いました。

なぜなら、そういった言葉が伝わっている時点で、『無知の知』はれっきとした名言であり、あれこれ解剖する必要はないと思っているからです。

ソクラテスが、無知の知を言ったかどうかという記事もありましたが、そんなことはどうでもいいではありませんか。

実際に、その言葉が存在して、現代社会にも役立っている。

長い歴史を経て、これは奇跡ではないでしょうか。

無知の知は、ソクラテスの思考ゆえに、それか閃きゆえに生まれたのだと、推測できます。

ソクラテスの『無知の知』:解釈&考察&分析

さて、ある意味、本題となるのが、この部分。

無知の知とは、自分の世界が正しいと思っている人よりも、自分の世界がすべてではない、と思っている人たちの方が知恵があるということです。

つまり、無知の知を知っている人ほど、傲慢ではないということです。

そして、謙虚であるとも言えるかもしれません。

己が無知の知を自覚している限り、己の視野は無限大であり、自己中心の考え方から脱却するということです。

あと、自分の主観(つまり思い込み)がすべてではないと分かることによって、客観の視点を得ることができるのです。

そして、無知の知であるためには、見えないもの(知らないもの)と繋がる力、つまり想像力が必要になってくるのだと思われます。

ソクラテスの『無知の知』:現代社会にどう役立っているか

この見えない部分を尊重するソクラテスの考えは、とても素敵だなと思います。

しかも、それがスピリチュアルのことを伝えるよりも、地に足が付いていて、説得力があります。

わたしは、スピリチュアルよりも、地に足が付いた哲学の方が、どちらかというよりも好きなので、スピリチュアルなことを、地に足を付け、説得しているこの『無知の知』が好きです。

無知の知を自覚することで、スピリチュアルに生きることにも繋がり、そして謙虚に、広い視野で世の中を見渡す人が増えお互いに生きやすい世界が形成されるのだろうと、わたしは思いました。

それでは、まとめていきたいと思います。

まとめ:無知の知の核心

ソクラテスの無知の知の部分について、解説せずに申し訳ありません。

ですが、わたしは、そのようなことは、哲学マニアとか、無知の知によほどこだわりがある人以外、どうでもよいことだと思っています。

むしろ、大事なのは、無知の知という概念が、世の中にどれだけ浸透していて、実践できている人がどれだけいるかということ。

もしかしたら、それさえもどうでもいい考えなのかもしれません。

無知の知とは、つまり、知らないことを知っている。

これが、核心だと思います。

そのまんまですね(笑)。

しかし、これが核心なのだから、仕方がない。

現代社会は、科学とかですべて知っているかのように、振る舞っているところはあるような気がしますが、最近はどうもそうではないという世の中になってきているのかもしれません。

スピリチュアルというワードも、YouTubeではだいぶ見られるようになりましたし、そういう見えない世界の重要さが認識され始めたのかもしれません。

無知の知を自覚することによって、より謙虚に、より広い視野で、世の中を闊歩する人が増えますように。

それではこの辺で、終わりたいと思います。

かめれもん★でした(^^ゞ