ソクラテスの言葉『無知の知』わかりやすく考察

はじめに

はい、こんにちは。かめれもん★です(^^ゞ

今回は、哲学者であるソクラテスの言葉『無知の知』について、自分なりに深く考察し、わかりやすく伝えていければ、と思います。

まず、ソクラテスの『無知の知』について大まかに解説し、それに対する考察等を施し、最後に現代社会にどう役立っているかについて、考えていきたいと思います。

それでは、始めてまいります。

ソクラテスの『無知の知』とは?

ソクラテスの無知の知が、どのように生まれたか。

それについては、正直、興味がない、と思いました。

なぜなら、そういった言葉が伝わっている時点で、『無知の知』はれっきとした名言であり、あれこれ解剖する必要はないと思っているからです。

ソクラテスが、無知の知を言ったかどうかという記事もありましたが、そんなことはどうでもいいではありませんか。

実際に、その言葉が存在して、現代社会にも役立っている。

長い歴史を経て、これは奇跡ではないでしょうか。

無知の知は、ソクラテスの思考ゆえに、それか閃きゆえに生まれたのだと、推測できます。

ソクラテスの『無知の知』:解釈&考察&分析

さて、ある意味、本題となるのが、この部分。

無知の知とは、自分の世界が正しいと思っている人よりも、自分の世界がすべてではない、と思っている人たちの方が知恵があるということです。

つまり、無知の知を知っている人ほど、傲慢ではないということです。

そして、謙虚であるとも言えるかもしれません。

己が無知の知を自覚している限り、己の視野は無限大であり、自己中心の考え方から脱却するということです。

あと、自分の主観(つまり思い込み)がすべてではないと分かることによって、客観の視点を得ることができるのです。

そして、無知の知であるためには、見えないもの(知らないもの)と繋がる力、つまり想像力が必要になってくるのだと思われます。

ソクラテスの『無知の知』:現代社会にどう役立っているか

この見えない部分を尊重するソクラテスの考えは、とても素敵だなと思います。

しかも、それがスピリチュアルのことを伝えるよりも、地に足が付いていて、説得力があります。

わたしは、スピリチュアルよりも、地に足が付いた哲学の方が、どちらかというよりも好きなので、スピリチュアルなことを、地に足を付け、説得しているこの『無知の知』が好きです。

無知の知を自覚することで、スピリチュアルに生きることにも繋がり、そして謙虚に、広い視野で世の中を見渡す人が増えお互いに生きやすい世界が形成されるのだろうと、わたしは思いました。

それでは、まとめていきたいと思います。

まとめ:無知の知の核心

ソクラテスの無知の知の部分について、解説せずに申し訳ありません。

ですが、わたしは、そのようなことは、哲学マニアとか、無知の知によほどこだわりがある人以外、どうでもよいことだと思っています。

むしろ、大事なのは、無知の知という概念が、世の中にどれだけ浸透していて、実践できている人がどれだけいるかということ。

もしかしたら、それさえもどうでもいい考えなのかもしれません。

無知の知とは、つまり、知らないことを知っている。

これが、核心だと思います。

そのまんまですね(笑)。

しかし、これが核心なのだから、仕方がない。

現代社会は、科学とかですべて知っているかのように、振る舞っているところはあるような気がしますが、最近はどうもそうではないという世の中になってきているのかもしれません。

スピリチュアルというワードも、YouTubeではだいぶ見られるようになりましたし、そういう見えない世界の重要さが認識され始めたのかもしれません。

無知の知を自覚することによって、より謙虚に、より広い視野で、世の中を闊歩する人が増えますように。

それではこの辺で、終わりたいと思います。

かめれもん★でした(^^ゞ

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