『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとうか?
はじめに
はい、こんにちは。
かめれもん★です(^^ゞ
今回は、『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?ということについて、考察していきたいと思います。
この記事は、『一寸の虫にも五分の魂』の意味が知りたい方、『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?と疑問に感じている方に、おすすめの記事となります。
ぜひ、最後まで見ていただけると幸いです。
それでは、始めていきましょう!
『一寸の虫にも五分の魂』って、どんな意味?

この言葉の意味は、次のようになります。
たとえ、小さな体であったとしても、その体の半分に魂が宿っているという考えであり、弱者に対する強者の戒め、たとえ弱者であったとしても・・・のような奮起の意味が込められているようです。
言葉の意味は、なんとなく分かっていたけれど、使い方とかを知ると、そんな意味があるんだ、と発見もありますね!
それでは次に、『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?ということについて、深く考察していきたいと思います。
『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにある?

『一寸の虫にも五分の魂』が、ほんとにあるかどうか。
わたしは、あると思っています。
なぜかというと、そう感じるからです。
答えになっていないですかね(笑)。
もう少し言うと、虫に命がないと、どうしてそう言えるのか、ということです。
体験談を交えつつ、具体的に解説していきましょう。
『一寸の虫にも五分の魂』の体験談

例えばですけど、虫を殺した、あるいは、殺すつもりはなかったけれど殺してしまった、殺すしかなかった。
色々あると思います。
殺虫剤で殺そうとした虫が、まだかすかに息をしている、あるいは動いていたとしましょうか。
そのとき、その苦しんでいる姿を見て、悲しくなっている人の心は嘘なのだろうか、ということです。
ここ重要です!
この心こそ、『一寸の虫にも五分の魂』がある証拠ではないのだろうか、とわたしは思うのです。
なぜなら、もし虫に命がないのであれば、別に死んだって、ゴミ箱に放られたり、道端で潰されても、何も思うわけがないのです。
しかし、殺した虫に、何らかの感情が渦巻くということは、どうでもいい命ではないということを、物語っているのです。
これが、『一寸の虫にも五分の魂』の、具体的な証明事例です。
まとめていきます。
おわりに
『一寸の虫にも五分の魂』の意味や使い方を知ることによって、新たな発見や、日常を豊かにもできそうですね。
『一寸の虫にも五分の魂』は、わたしは、幼い頃からそうだと思って生きてきました。
だから、平気で虫を殺す人たちの傍で、楽しんでいる演技?をしなければいけなかったのは、ほんとうに辛かった。
虫を殺して、罪悪感や、ごめんねという感情が渦巻くのは、大切なことです。
もちろん、それに支配されすぎてしまってはいけないと思いますけれど・・・。
この記事で、少しでも、『一寸の虫にも五分の魂』の大切さ、奥深さが分かってもらえると幸いです。
ここまで、読んでいただいた方々、どうもありがとう(^_^)/~
かめれもん★でした(^^ゞ