俳句の評価は、結局最後、感覚になる話
はじめに
はい、こんにちは。
かめれもん★です(^^ゞ
今回は、俳句の評価で大切な感覚の話をしていきたいと思います。
俳句は論理的に考えすぎてもいけないし、作者の想いを尊重する場面もある。
そして、俳句の評価を、これからはどのように行っていけばいいのか。
わたしの考えを、述べさせていただきます。
それでは、始めていきましょう!
俳句の評価は、論理的に考えすぎないほうがいい

俳句の評価で、なぜ、論理的に考えすぎてはいけないのか。
これは、それなりに大事な話でもあります。
人間は、論理的に作って、それなりに評価される俳句もあります。
例えば、東大生がプレバト!!で作る俳句のように、ですね。
東大生が作るすべての俳句を否定するつもりはありません。
しかし、中には、少し人間の醜の部分が入っていたり、中身が空疎であったりと、すべての俳句が美しいというわけではないと思います。
これが、俳句を論理的に作りすぎてはいけない、1つの理由です。
他にも、この世界は、科学が非常に発達してきましたが、それによって、多かれ少なかれ、人類は弊害をこうむってきました。
環境破壊や、公害などが、その例として挙げられます。
この場合、感覚、つまり人類の愛の比重が多ければ、それほど科学は、害をもたらす可能性は低かったでしょう。
つまり、俳句を作るときは、思考や論理の前に、感覚や感情などの愛が大切になってくるということです。
俳句の評価で大切な感覚の話

俳句の評価で、なぜ、感覚が大切なのか。
皆さんは、なんとなく分かってきましたか?
最近の俳句ブームでも、添削などで、論理的な側面だけしか見ずに、この俳句は最高だ!と言う人も中にはいるような気がします。
しかし、肝心なのは、そこではありませんよね。
肝心なのは、外見ではなく、中身です。
つまり、外見でいいと思っても、付き合っていく内に、この人、あんまり中身がない、ということになりかねません。
もちろん、それで、その人にとって学ぶことが多ければ、次に活かせるからよいのです。
俳句は、論理ばかりを重視し過ぎると、いつのまにか、中身がないのに、それいいね!と呼ばれる作品であふれ返ってしまう可能性もあるのです。
そこのところは、気を付けておきたいところですね。
それでは次に、俳句の評価をこれからどのように行っていけばいいのか。
いっしょに考えていきましょう。
俳句の評価をどのように行っていけばいいか

俳句を評価する上で、一定の基準で、論理的に読み解くというのは、可能だと思います。
したがって、大まかな評価基準があるのは、よいと思われます。
一方で、論理的には読み解けないけど、なんかすごく圧倒される。
もしくは感動するような作品もあることもまた、事実です。
例えば、子どもたちの詩や、俳句の作品を見てみると、技術的には、幼いような印象を受けますが、ときに大人の気づけなかったことを、堂々と正直にスパッと述べてくれることがあります。
このような場合、思考よりも感情が勝っているのです。
だから、ヘタで評価できないかも、と思っても、大人たちには感動をもたらすことがあります。
したがって、このような場合、人はある程度、俳句や詩を感覚的に評価できる能力を持っていると思います。
問題は、それを評価する大人が、論理的なことばかりしか見ずに評価する人なのか、そうでない人なのか。
その見分け方は、難しいですが、今のところ、このように述べておきます。
その人の思考と感情のバランスがとれていて、安定しているように見えるか、どうか。
つまり、自然体であるか、どうか。
もしくは、SNS等で、信頼できる人なのか、どうか。
その人の作品を、ある一定の評価を受けた詩人や俳人が、いいと判断するか、どうか。
このような判断基準が、挙げられると思います。
参考程度にしてもらうと、ありがたいです(笑)。
ですから、人の俳句や詩を評価するときは、自分でもそのような思考と感情のバランスがとれた作品を作れているかどうか、というのが1つの判断基準になりそうです。
それから、論理的に俳句を評価せず、感覚的にも俳句を評価できると自負している方々が、とりあえず添削などを行っていくというのが、大切なような気がします。
うまく言えていない可能性がありますが、まとめで思考を整理していきたいと思います。
おわりに
俳句は、見た目ですべて分かるというものではありません。
問題は、その奥にある感情です。
人々は、ネットを使うようになって、適当に論理的な文章などを書いて、忍ぼうという人も、それなりにいるかと思います。
しかし、それでは、世の中に、正しくないのに、これはいいんだ、とか、悪いんだとか、そういうものが増えてしまう気がします。
だから、心が込もったものが、世の中にあふれていないと、いつのまにか、中身がない世界を愛するという、歪んだ図式が完成してしまうと思います。
そのようなことには、なってはいけないのだと思います。
俳句の評価でも、思考と感情のバランスが大切です。
ここで、一番大切なのは、俳句は技術がすべてではない、ということ。
論理で作られた俳句がすべてではない、ということを深く理解する、ということが大切だと思います。
そのような人たちが、自分は、論理だけでなく、感覚の部分も分かると積極的に発言し、もしくは、何も言わずに、覚悟を持って、相手を尊重した評価をしてほしいな、と切に願います。
それでは、わたしはこの辺で。
他にも、俳句や詩関連の考察を、深く、心を込めて書いていますので、よかったらご覧ください♪
かめれもん★でした(^^ゞ