季語の魅力が伝わるような季語エッセイFile.1『秋の風』

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、季語の魅力が伝わるような季語エッセイということで、若干新しい試みです。

この記事では、季語『秋の風』の魅力が、それとなく伝わることを目指します。

気軽に読んでくだされば、幸いです。

それでは、始めていきます。

秋の風を感じる機会が少ない

秋の風といっても、普段、わたしは外に出る機会が少ないのです。

それでも、たまに外に出てみると、晴れていて、これは秋の風ではなく、夏の風なのである。

そんな季語があるかどうかは、知らないけれど・・・。

しかし、そのような風の中に、微かに秋の風を感じることがある。

そのとき、わたしは秋を身に沁みて感じるのである。

もともと、HSPだから、そういうのは得意だ。

繊細な感覚ゆえに、微細な感覚を捉えるのに、長けている。

ゆえに、俳句というものをやっているのだろう。

秋の風をもっと感じたい

話は少し変わり、そういえば、秋の風を感じるというのは、具体的にどういう状況なのであろうか。

飛行機に乗っていても、窓ガラス越しに、秋の風は感じにくい。

フェリーに乗っていても、秋の風というよりこれは、海の風だ。

やはり、秋の風は、車とか、自転車とか、その場に立ってのように、自分が動かず身に沁みて感じるものらしい。

つまり、素朴な風=秋の風とも言える。

家の中の秋の風

普段、外に出歩くのが少ないので、秋の風は家の中で感じることが多い。

家の中の秋の風といえば、まっ先に思いつくのが、台所の風である。

網戸から、外の秋草や澄んだ空気を引き連れて、秋の風を感じることがある。

秋の風とは、ある意味、家の中でも感じることができるものである。

わざわざ外に行って、秋の風を感じることはない。

自分が身に沁みて、秋の風のようなものを感じれば、それは俳句になるのかもしれない。

とはいえ、外に出ていって感じる秋の風は、よりリアリティが含まれ、気持ちいいことは、確かである。

それに、家の中で、秋の風を感じるというのは、やや陰気というか、インドアな気がする。

やはり、自然の流れというのは、外に出ていって感じるものであって、観葉植物に、人が通り過ぎていく中で、揺れる秋の風というのは、なんか違う気がするし、ちょっとナンセンスだね。

それでは、まとめていきます。

おわりに

いかがだったでしょうか。

秋の風。

なんとなく伝わりましたでしょうか。

でも、このような記事では、まだ伝達不足かもしれませんね。

次回、書くときは、もう少し練ったり、真剣に書こうと思います(真剣じゃなかったんかい!)。

ここ最近、少しブログ止めていましたが、腹風邪によるものです。

今は、回復期間中です。

これからも、無理せずブログを、マイペースに更新し続けようと思います(^^ゞ

かめれもん★でした~(^_^)/~

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