ノーベル文学賞で、詩が注目! 詩は、西洋では王道!
はじめに
はい、こんにちは。
かめれもん★です(^^ゞ
今回は、ノーベル文学賞で詩が注目されている話をしたいなあ、と思います。
このサイトでは、詩と人生について語っているわけで、詩にもこれまで幾度も接近、研究してきました。
そしてそんな最中、詩に注目されているという話題なれば、もうこれは記事を書くしかありませんね(笑)。
この記事の構成は、以下の通りです。
まず、ノーベル文学賞で、詩はどのように注目されている? について。
次に、日本で詩が注目されていないのは、なぜか? について考察を深めていきます。
そして最後に、詩の魅力について少し解説して、終わりたいと思います。
それでは、始めていきましょう!
ノーベル文学賞で、詩はどのように注目されている?

先日、新聞を読んでいると、アメリカの女性詩人がノーベル文学賞を受賞していることが分かりました。
詩で、ノーベル文学賞というと、ボブ・ディランを思い出しますね。
ノーベル文学賞で詩が注目されるということは、日本人にとって意外なことだと思います。
なぜなら、小説の方が娯楽性があって、消費性が高いと思われているからです。
しかし、一方で詩は非効率とも言えますね。
それゆえの重みがあることはまた確かなのですが・・・。
例えば、日本でお笑いはオワコンと言われていますが、あんなに立派な人を楽しませる行為が無駄とは、いったいどういうことなのだろう、と首をかしげてしまいます。
詩は、日本では王道ではないかもしれないが、西洋では王道なのです。
これは意外と知られていない事実ですね。
詩にはもともとパワーがあり、文化を根本的に救う可能性を秘めているんですよ。
そのわけは、詩が芸術の根幹に限りなく近く、詩の驚きや新鮮さが、他の文学や芸術に影響を与えるから、なんですね。
それほど、詩は高度で、情報密度が高いということです。
だから、それが色々な媒体に伝播、広がりやすいということでもあります。
なぜ、日本では詩が注目されていないのか?

日本は、効率的かつ科学重視でこれまで動いてきた側面があります。
なぜなら、その方が、経済や社会が発展すると、頑なに思われていたから、なんですね。
しかし、それは全く大きな誤解だと思います。
よく考えてみてください。
生活が効率的に傾いて、幸せになった人は多いでしょうか。
もちろん、適度な効率性は必要ではありますが・・・。
しかし、あまりに効率的になると、それは人を拘束してしまいます。
つまり、時間に縛られたりするわけですね。
満員電車で、死にそうな顔をしている人たちを思い浮かべてみてください。
科学重視で、根拠を重視するのもいいですが、肝心なことは、まだ科学では全く分かっていないと言ってもいいと思います。
哲学的な、生きるとは何か、死とは何か、詩とは何か、勇気とは何か、希望とは何か、愛とは?
どれも、科学で答えれたら、この世界は陳腐な世界になってしまうと思いますね。
そうならないために、忘れられた大切なものを、もう一度思い出すために、詩というものは存在しているのです。
詩は非効率で、若干非科学的で、しかし不思議と涙が出る詩とかは、ないでしょうか。
皆さんも、そんな感じで、詩の愛おしさにかつて、惹かれて手に取ってみようか、と考えたことがあるのではないでしょうか。
詩の魅力は、健在なり!

詩と言うと、多くの人は、難解な現代詩を思い浮かべたり、歌詞とか、ポエムのように適当な言葉で連なった詩を思い出すでしょうか。
いい詩というものは何なのかというと、その判断は難しいし、慎重にもなります。
しかし、人に対する相性というものもあり、詩の質というものも存在しています。
小説にも、相性のいい本があったり、わかりやすすぎて退屈な小説があったりしませんか。
詩も、それは変わりません。
詩には、音とリズム、それから魂が込められた愛が存在しています。
それを感覚的に、音楽的に読むのであって、読み解こうとするのは、俳句や短歌や川柳で、充分ですね。
なぜなら、それらは一行詩だから、読み解こうと思えばなんとか読み解けそうな部分があるからですね。
現代詩や、本来、谷川俊太郎さんのような詩と呼ばれるものは、わからないものだと思います。
しかし、わからないからこそ、魅力があるのではないでしょうか。
だれもが、ミステリアスで不思議な人には惹かれたりしなかったでしょうか。
わからないものが、存在しているのです。
だから、詩には間違いなく魅力があるわけで、詩に魅力がないというのは、大きな勘違いと言ってもいいくらいです。
それでは、まとめていきます。
おわりに:詩の魅力を、今こそ発信!
西洋では王道の詩が、日本ではイマイチ知られていない。
しかも、日本の詩は割と高度かつ質が高いとも言われています(これは難解とは少し違うと思う)。
日本人は、そろそろ心の豊かさ、真の教養を思い出すときで、それは少しずつ明るみに出てきているんじゃないかなあ、と感じています。
詩の魅力というのは、奥が深いです。
だから、少しでもその片鱗が見えたら、心はとてつもなく浄化されたり癒やされたりするものだと思います。
だからといって、詩に過度の期待はするものではないと思いますけどね(笑)。
わたしも、これまで通り、詩の魅力を引き続き、発信していけたらな、と思います。
それでは、わたしはこの辺で。
他に詩論を幾つか載せておりますので、よかったら見てください♪
かめれもん★でした(^^ゞ
ここまで見ていただいた方々、どうもありがとう~(^_^)/~