独特な3つの目線から眺める俳句とは?
はじめに
はい、こんにちは。
かめれもん★です(^^ゞ
今回は、俳句の魅力を、もっと深堀りしたい! オリジナリティある俳句論を聴きたい! という方におすすめの記事となっております。
独特な3つの目線から、俳句とは何かを考えることで、今よりももっと俳句に親しめる記事になればいいなあ、と思います。
目次は、以下のようになっております。
俳句とは?:俳味が、魅力的!
俳句とは?:俳句は、とても自由!
俳句とは?:俳句は手段であって、大事なのは作者の想い
に、なります♪
わたしも、俳句を作ったり、寝る前に歳時記を読んだり、このブログで俳句に関する記事等を書いてます。
ですので、少なからず説得力のある俳句論を展開できるのではないか、と思っております。
最後まで読んでいただけると、とてもうれしいです。
それでは、始めていきましょう!
俳句とは?:俳味が、魅力的!

俳句とは、なにか?で、わたしが一番最初に魅力的だな、と思ったのは、俳味です。
俳味とは、現代のお笑い要素、とも言えるでしょう。
滑稽や可笑しみといった、爆笑というお笑いというよりも、クスッと笑える文学的なお笑い要素と言えるでしょう。
例えば、それを体現している俳人には、小林一茶という人がいますね。
松尾芭蕉、与謝蕪村、と同じく、俳句を知らない方でも、ある程度耳にしたことがある俳人だと思います。
庶民に寄り添った、お茶の間に笑いを届ける風な、面白い俳句をたくさん創られました。
わたしも、小林一茶という俳人が好きですので、皆さんも本やネットで、一度調べてみると、よいのではないか、と思います。
俳句とは?:俳句は、とても自由!

俳句は、とても自由です!
しかし、だからといって、人に評価されるにはある程度の枠組みにハマる必要もあります。
よく世間で言われる「常識」も、守ることである程度生きやすくなるのと、同じ原理です。
ただ、一人で作る分には、自由律俳句でもいいし、俳句っぽいものならなんでもいいと思います。
例えば、わたしが以前作った自由律俳句で、『酸っぱいをしゅっぱいにして言ったら失敗に聞こえた』も自由に作った結果、俳味もあるし、韻を踏んでいたり、定型とは違う独特なセンスが磨かれました。
ですので、自由律俳句を作ってみて、定型俳句に挑戦するでもいいと思います。
そうすると、より自分の個性が定型に反映されると思います。
世間に認知される俳句を作りたいという方は、ある程度、論理的に考えて俳句を作る必要があると思います。
なぜなら、論理的に考えて俳句を作るということは、世間で常識的に認知される1つの枠組みになるからです。
つまり、これは俳句だな、と認知されやすくなるのです。
そのロジックで、枠組みにある程度ハマりつつ、やや型破りな俳句を作れば、世間に幅広く面白いと認知される俳句が作れると、わたしは思っています。
俳句とは?:俳句は手段であって、大事なのは作者の想い

そして、俳句とはなにか? と考えすぎるのはどうなのかな?と思うこともあります。
なぜなら、俳句は手段であって、分解しても中身がないのです。
大切なのは、俳句という定型ではなく、詩という抽象的なものなのです。
では、その抽象的な大切なものとは、なんなのか?
皆さんは、何だと思いますか?
わたしは、俳句という身体よりも、大切なのは作者の心、想いだと思っています。
作者が俳句を作るとき、どんなイメージを膨らませたか、が大事で、俳句はその副産物に過ぎない、と思っています。
作者の想いに、オリジナリティがあり、それがきれいに俳句で表現されていれば、いい俳句になるのではないか、と思います。
もちろん、一生懸命作られた俳句は、どれも本質的には美しいんですけどね♪
それでは、まとめていきたいと思います。
おわりに:俳句はもっとシビれる
俳句は、俳味というお笑い要素が加われば、もっと面白くなると思います。
俳句は、本来自由な表現が許されていますが、世間にある程度認知されたいと願う方は、定型や季語や切字など、一定のロジックを覚える必要があります。
そこから、型破りすると、よいと思います。
俳句で大切なのは、作者の想いであり、それがちゃんと論理的に人々に伝われば、みんなが幸せになると思います。
俳句とは、詩とは、本来そういうものです。
多くの生きとし生けるものと調和して、みんなと生きる歓びを歌うことです。
そのことをぜひ、大切にしてもらえればな、と思います。
それでは、今回はこの辺で。
他に俳句や、詩論、人生にまつわる様々なことに言及した記事を書いていますので、よかったら読んでくださるとうれしく思います。
ここまで見ていただいた方々、ありがとうございますm(_ _)m
かめれもん★でした(^^ゞ