詩を間接的に翻訳する可能性について

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、詩と翻訳の関係って、どうなってんの?と思う方、詩の翻訳の可能性について知りたい方、におすすめの記事となっております。

この記事では、わたしが思う新たな詩の可能性を考察し、世界がさらに豊かになるアイデアを示したいと思います。

目次は、以下の3つになります。

・詩と翻訳の関係について

・言語として翻訳されなくてもいい

・直接的にではなく、間接的に翻訳する。

に、なります♪

わたしは今まで、このブログ等を通じて、詩を研究してきました。

詩論や、古典的な詩もそれなりに読んできました。

この記事で、新たな詩の翻訳の可能性を示すことができたら、とてもうれしいことです。

その想いを空想し、いざ始めてまいりたいと思います。

詩と翻訳の関係について

詩は、翻訳の壁で失われるそうです。

なぜなら、詩にはリズムがあり、それを違う言語で説明するのなら簡単かもしれませんが、音楽性を表現することはとてもむずかしいことなのです。

言語ごとに、様々なリズムがあり、普通の音楽のように、共通した道具(言語)がないのですね。

言語として翻訳されなくてもいい

しかし、言語として翻訳する必要があるのだろうか?と、わたしは思いました。

なぜなら、言語だと詩を翻訳するのはむずかしく、そのおかげで国家間での詩が、停滞しているのではないか、と推測するからです。

例えば、こういうのはどうでしょう?

現代美術として、詩を表現したり、音楽で表現することは可能ではないでしょうか?

なぜなら、感覚的に表現できるからです。

論理的に表現する必要はありません。

そうなってくると、詩も国境を越えることができるのではないか、とわたしは思ったのです。

直接的にではなく、間接的に翻訳する。

これをもし、実現するのであれば、国家間で協力し合うことが大切である、とわたしは思います。

もしくは、民間同士で・・・。

今の世の中は、詩が停滞した頃より、はるかにグローバル社会であり、可能だと思うのです。

詩をまず、その言語の国で、違う媒体(絵とか、音楽)に翻訳します。

そして、それを受け取った異なる国の詩人が、言葉に変換します。

そうすると、今まで一部の人にしかできなかった詩の翻訳が、多くの人たちによって、翻訳されやすくなると、わたしは思うのです。

今でも、ネット詩人など、詩人の数は多いですからね。

こうなってくると、間接的ではありますが、詩をもっと世界中で幅広く交流される可能性が高くなり、他の芸術の振興にもなります。

多少、翻訳は原詩と異なってくるかもしれませんが、翻訳のしやすさは逆にあり、また新たな詩の分野が誕生するのではないか、と推測します。

日本の詩は、とても美しく高度になります。

それらを世界に示せば、世の中はもっと良くなるのではないか、と空想します。

これを読んだ誰かが、実行、または参考にしてくだされば、わたしとしてはこの上ない幸せなことであります。

それでは、この記事をまとめていきましょう!

おわりに

詩を翻訳したり、されたりというのは、現時点ではむずかしいものになっております。

しかし、それはほんとうでしょうか?

他の感覚的に表現できる芸術で、質の高い詩を間接的に表現することは、可能だと思うのです。

そのためには、多少の困難はあると思いますが、メリットの方がとても大きいとわたしは考えています。

この記事が少しでも、参考になったら幸いです。

それでは、わたしはこの辺で。

他に詩とか、スピリチュアル(精神関係)で様々な記事を展開しています。

併せてご覧いただけると、とてもうれしく思います。

ここまで読んでいただいた方々、ほんとうにありがとうございます!(^^ゞ

かめれもん★でした(^_^)/~

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