散文詩と小説の違いとは? 事例や「散文的」にも言及。
はじめに
はい、こんにちは。
かめれもん★です(^^ゞ
今回は、
「散文詩と小説って、違いがわかりにくい!」
「散文詩の例とかって、どんなのがある?」
「散文的っていうのが、イマイチわかりにくい!」
にお答えする記事となっております。
目次は、以下の3つになります。
・散文詩と小説の違い
・散文詩の例
・散文的とは?
に、なります。
わたしは今まで、詩に対する思索をブログやnoteなどを通じて行ってきました。
詩に対する一定の理論は、頭の中に構築されています。
ですので、その視点から、今回の事例についてお答えします。
それでは、始めていきましょう!
散文詩と小説の違い

散文詩とは?
散文詩とは、散文のように見えますが、実はすべての言葉に力が入っています。
つまり、詩情を感じることができます。
小説より、さらに芸術的とも言えますね。
詩ならではの実験に満ちた作品も、登場すると考えられます。
小説とは?
小説にはストーリーがあって、詩のようにすべてに力が入っているわけではありません。
または、適度に息抜きが成されています。
散文詩と小説。ココが違う!
■散文詩
・ストーリーやフィクションとは限らない。
・受動的ではなく、能動的に読む。
・驚きや発見が多い。
■小説
・ストーリーやフィクションが基本。
・能動的に読むのではなく、受動的に読む。
・驚きや発見は少ない。
ここで注意点として、詩は能動的に読むことによって、没入感があるとわたしは思っています。
小説は反対に、受動的でもなんとなく読めてしまう。
真剣に読まなくてもなんとなく頭に入ってくる場合もあります。
一方で詩は、能動的に読むからこそ、音楽のように言葉を感じることができるのです。
よく、能動的より受動的の方が楽、と考える方もいますが、それは違います。
与えることによって、うれしい気持ちになることもあります。
例えば、大切な人にプレゼントして喜んでもらえたときのように・・・。
それをぜひとも忘れないようにしてください。
散文詩の例

散文詩の例を挙げると、吉野弘さんの『I was born』があります。
谷川俊太郎さんの詩にも確かあったはずです(『定義』とかですかね?)
ここでは、一例として、吉野弘さんの『I was born』を一部引用させていただきます。
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥
から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆ
っくりと。
ポケット詩集より
これは、詩の冒頭部分です。
あえて言葉で説明はしませんが、感覚的に理解することが大切です。
散文的とは?

散文的とは、つまり、説明的になっているということです。
つまり、無駄な部分が多いということです。
詩は、無駄な言葉が削ぎ落とされ、しかも音楽的要素があります。
一方で、散文的な文章は、読み手に飽きさせる、つまり読み応えがないと感じさせるとともに、美しい言葉、あるいは文章ではない、と読めることでしょう。
例えば、散文詩のように美しい文章を書こうと思えば、無駄な言葉を削ぎ落とし、適度なスキを見せることも大切です。
要は、散文と散文詩の間のバランスを考えるということです。
それでは、まとめていきます。
おわりに
ここまで、以下の項目について、解説してきました。
・散文詩と小説の違い
・散文詩の例
・散文的とは?
わたしは、散文詩と小説の違いについて、実はそんなに大差ないと思っています。
なぜなら、小説でも心を込めて書けば、それはもう詩のようになりますし、散文詩も適当に書けば、散文っぽくなります。
要は作者が、散文詩で書くならそう見える必要がありますし、小説を書くなら小説に見えていた方がよいと思います。
要するに、作者の想いを体現できているかどうかですね。
それでは、わたしはこの辺で。
他に詩に関する記事、スピリチュアル(精神関係)、わたしの人生のコンテンツ化を行っていますので、よかったらご覧いただければ、と思います。
ここまで読んでいただいた方々、ほんとうにありがとうございますm(_ _)m
かめれもん★でした(^^ゞ