【断言】詩の種類を考えるのは、無駄です。
はじめに
はい、こんにちは。かめれもん★です(^^ゞ
「詩の種類、覚えるの大変だなあ」
「詩の種類って、どんなものがあるの?」
「詩のことについて、もっと知りたい」
そんな方に、この記事はおすすめです。
詩の種類について、僕なりの見解を述べた記事です。
目次は、以下の3つとなります。
・詩の種類を考えているとき、楽しいですか。
・詩の種類は、詩人の数
・型に縛られない2つの詩の読み方
目次
僕は、ここで詩の種類を挙げるのも、ありだと思いました。
しかし、詩のことを研究し、詩の本質的なところを見つめている僕からすると、詩の種類を論理的に把握することは、詩にとっていいことなのだろうか、という疑問からこの記事を書きたいと思います。
この記事で、それはおかしい!と異議を唱える方もいるかもしれないですが、僕の個人的な意見なので、それほど気にしなくても大丈夫です。
それでは、始めてまいりたいと思います。
詩の種類を考えているとき、楽しいですか。

詩の種類って、学校で習いますよね。
口語とか文語とか、定型詩とか散文詩とか。
でも、あえて僕はこれに申したいことがあります。
それは、詩の種類を考えて、詩のことを考えているとき、楽しいですか? という疑問です。
どうなのでしょう、そこのところ。
僕は楽しくない、と思います。
なぜなら、詩は型式に縛られるものではない、と思うからです。
例えば、詩の種類を考えるとき、僕たちは、学問的、もっと言えば勉強的に考えているような気がします。つまり、覚えなければならないこととして考えている。
しかし、ここで僕は言いたい。
詩は学問とか、覚えるのは義務とかじゃなくて、娯楽で、覚えることはむしろ楽しいことではないのか、と言いたいのです。
つまり、詩を種類として分かろうとすることは、詩の自由さ、面白さを認識できていないのではないか、ということです。
では、次に、僕が考える詩の種類って、なんなんですか?ということについて、回答したいと思います。
詩の種類は、詩人の数

詩の種類って、基本的に詩人の数だけあると思っています。
なぜか。
詩は、その人の心の底にある魂的なものが表面化したものと言えるからです。
つまり、詩の種類は、詩人の数だけある、ということになります。
詩の種類として学問的に考えるときは、口語とか、文語とかに分けて考えた方がわかりやすい面はあります。
しかし、詩は娯楽である、と僕は考えますので、詩は詩人の数だけオリジナリティがある、と思っています。
実際、詩の種類を述べようと思うと、多岐にわたると思います。
詩を学問的に分類しようとすると、詩はその型の中に収まりきらない不思議さ、分からなさ、魅力があると思うのです。
それでは、僕が考える型に縛られない詩の味わい方について、少し述べていきましょう。
型に縛られない2つの詩の読み方

その1:論理的にではなく、感覚的に読む
僕たちが詩の種類を考えて詩と接するとき、詩は難解で複雑で面倒なものという認識になってしまいます。
なので、詩は最低2回読むといいと思います。
もちろん向いていない詩集とか、詩は何回も読まなくていいです。
あくまで、向いている詩集や詩を繰り返し読んでみてください。
そうすることによって、詩は何層にも意味が重なっていますので、新たな詩の発見というものがあると思います。
その2:詩人単位で、詩を読む
これは、詩の種類は、詩人の数と述べたように、1人の詩人のオリジナリティをトコトン味わう方法です。
1人の詩人のオリジナリティを、複数見ることによって、その詩人の魅力・深さ・愛着度合いも違ってくると思います。
なので、気になった詩人等いるなら、その詩人の作品をななめ読みするといいと思います。
それでは、まとめです。
おわりに
はい。いかがだったでしょうか。
今回の記事で僕が述べたのは、以下の3つです。
・詩の種類を考えているとき、楽しいですか。
・詩の種類は、詩人の数
・型に縛られない2つの詩の読み方
詩はもっと、自由だ!
詩は学校で習うとき、どうしてもその形式とかで覚える必要もあると思います。
なので、そのときはぜひ普通に覚えてください(笑)。
ほんとうは違うんだけどな、もっと詩は自由で楽しいんだけどな、と思っておくのも1つの考え方です。
もちろん、強要とかではないので、ご安心いただければ、と思います。
~★~★~★~
それでは、僕はこの辺で。
このブログでは、詩関連の記事、スピリチュアル(精神関係)の記事、人生に心からのよろこびを、をモットーに発信活動を続けております。
ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございますm(_ _)m
かめれもん★でした(^^ゞ