詩と死の関連性、生死についてのわかりやすい考察

はじめに

はい、こんにちは。かめれもん★です(^^ゞ

「詩と死の関連性って、どんなものがあるの?」

「生きるとは、何か」

「死が、怖い」

これらのようなことをお考えの方たちに、この記事はおすすめです。

詩と死、生きることの考察を、心を込めて話していきます。

目次は、以下の3つになります。

・詩と死の関連性は、高い。

・死を考えることは、生きることを考えること

・死が怖いとお考えの方へ(おすすめ本の紹介)

目次

僕は今まで、このブログで詩の研究を行い、人間の生死についても数多く考える機会がありました。

その知見を、このブログで多少なりとも、紹介することができれば、うれしく思います。

それでは、始めていきましょう。

詩と死の関連性は、高い。

詩と死の関連性は高い、と僕は思っています。

まず、詩は何を歌っているか、というと、存在、命、生きる歓びを歌っている、と僕は考えます。

そして、死を考えるということは、存在、命、生きる理由とかを考えますよね。

両者比べてみると、共通点があるように思います。

つまり、両者、存在や命と関わりが深い、ということです。

具体例を挙げてみると、詩を読むことで、人は心の奥にある何か大切な感覚を思い出すことがあります。

そして、詩には様々なもの、具体的なものや見えないものについて書かれており、その存在意義を静かに唱えています。

それらを読んでいると、自分も生きる意味があるのかもしれない、と存在意義を見出し、死(存在の尊さ)を受け止め、生きることを考えるようになります。

つまり、詩を読むと、命(こころ)がやさしい気持ちになり、死を見つめると、詩のような存在の尊さを歌っているものに、自然と惹かれていくのだと思います。

よく類は友を呼ぶ、というものがありますよね。

あんな感じで、詩に触れ合う人は、死や生きることを考え、死と接した人は、自然と心深くにある魂の傷を癒すために、詩のことを考える傾向があるのだと思います。

死を考えることは、生きることを考えること

死を考えることって、案外ネガティブなものばかりではない、と僕は考えます。

なぜなら、死を見つめるということは、その限りある命をどう生かそうか、と生きることを真剣に考えるようになるからです。

僕は、今までおよそ3度のいじめに遭っています。

自殺したいと思ったことは何度もあり、惨めな思いになったことは数知れず(現在は克服しています)。

そんなときに、命の淵まで何度も行ったことがあります。

思索に思索を重ねて、根本的な魂のところまで降りていったわけですね。

そして、命のリアリティや、普通に日常生活を送れることのなんと素晴らしいことか、若くして悟ったわけです(若干、自慢、すいません)。

ですので、死を考えることは、同時に生きることを真剣に考えることに繋がっていきます。

すると、どうなるのか。

幸せに生きることができるよう試行錯誤を繰り返し、徐々に生きることが楽になっていく、ということが考えられることの1つです。

もちろん、死を見つめることは、他にも生きることへ様々なメリットを及ぼすと思いますが、この記事ではここまでにしておきます。

それから、死を考えなければならないということはありませんから、ご心配なく。

ただ死を意識して、生きるよう心がけると、生の質が上がるということを言いたかったのです。

死が怖いとお考えの方へ(おすすめ本の紹介)

さて、ここでは死が怖いとお考えの方へ、参考本をご紹介します。

それは、生きがいの創造(完全版)という本(1650円)です↓

この本は、知人から紹介された本ですが、とても面白い本でした。

僕の死生観を、激しく揺さぶりました。

それまでは、死が怖くて、それには立ち向かっていかなければならないもの、と思っていました。

しかし、この本はある種の文章テクニックを巧みに使い、科学的に死は怖いものではない、と勇気や感動を与える名著です。

ボリュームがかなりあるのは難点ですが、それが気にならないくらいスラスラスラと読めます。没頭するくらい読めます。

この本を読むと、ほんとうに生きることが怖くなくなる、または生きることがほんの少しでも楽になる、人生にハリが出てくる効果があると思います。

なので、よかったら読んでみてください。

これ以外の本で、参考程度に、斎藤一人さんの本を読むという方法もあります。

死に関しても、明るく、楽しく、話されています。

もしよかったら、こちらの記事を参考にしてください↓

それでは、まとめです。

おわりに

はい。いかがだったでしょうか。

この記事では主に、このようなことに触れてきました↓

・詩と死の関連性は、高い。

・死を考えることは、生きることを考えること

・死が怖いとお考えの方へ(おすすめ本の紹介)

詩と死は、奥が深い・・・。

詩と死は関連性が高く、詩を読むことは、死を考えることにも繋がっている、と個人的には思います。

そして、これを読んでいただいた方たちには、生きることを考え、死を怖れず、前向きに足を踏み出されることを、影ながら祈っています。

~★~★~★~

それでは、僕はこの辺で。

このブログでは、詩関連の記事、スピリチュアル(精神関係)の記事、人生に心からのよろこびを、をモットーに発信活動を続けております。

ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございます(^^ゞ

かめれもん★でした(^_^)/~

若者が考える3つの死生観

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、若者が考える3つの死生観ということで、個人的な考察ブログになってしまうかもしれませんが、このように死生観を考える若者もいるよ、と分かってもらえる記事になれば、幸いです。

なるべく、普遍性がある内容にしようと、構成を練ったので、参考になるところがあれば、それぞれ好きなように解釈してもらえれば、と思います。

それでは、始めていきましょう!

事例1:田舎で育った若者の死生観

田舎で育っていると、高齢者の方で、天国に旅立たれる人が多い。

小さい頃から、それは日常茶飯事で、昨日親しく話していた誰かが、今日には天国に旅立たれるというのも、よくある話。

そうなってくると、家族の死や、自分の生死について、考えることが必然的に多くなってきます。

街中だと、よく子どもの姿を見かけるので、ここで暮らしている人は、まだ死生観について考えないのかもな、と思ったりもするのです。

つまり、自分にとって、死は身近なもので、生きることや、人生論、今に至ってはスピリチュアルなことに思いを巡らすのは、必然だったのだと思っています。

事例2:若者なりにいじめを受けて育った死生観

いじめといっても、わたしの場合は、かなりキツかった方なのではないか、と思います。

なぜなら、田舎の小さい学校で、小学生だった頃の大半の時期を、いじめられていたからです。

つまり、いじめに遭遇する頻度が、非常に高かった、と言えばよいでしょうか。

命の危機は何度も体験したし、それにどう対処するか、ということばかり考えていました。

そして、生きる意味って何なんだろう?

自分にとって、未来とは?

色々考え、自己肯定感も低く、とても辛い時期でした。

しかし、それはもう過去の話。

今は生きていて、とても嬉しいと思っているし、生きていてよかった!と心から思えます。

あのときの体験が、今の充実した日々を創っているんだろうな、と思います。

いじめられて、悲しいことがあっても、生きていけば、未来という希望を、若者は掴むことができるのです。

事例3:身近な動物や人が亡くなって育った死生観

最近、身近な人や、身近な動物が亡くなって、少し哀しい気持ちになることもあります。

あたりまえの日常が、あたりまえではなく、幸せであったのだと痛感する日々です。

それらは試練として、乗り越えていく覚悟が問われているのだと思います。

そんな中、スピリチュアルな本も読んだりしました。

『生きがいの創造(完全版)』(1,650円↓)

するとやっぱり、あの世はあるとしか思えないし、臨死体験の事例や、眠っているような状態の人が、様々なことを、様々な声で話されたり、身近な人や、ペットも、傍で見守ってくれているんだと、分かるのです。

そして、実際、不思議な体験もしましたし、この世だけじゃなくて、あの世もあるんだろうな、という実感はあります。

目に見えない世界が、存在しているということです。

それでは、まとめに入ります。

おわりに

さて、皆さん参考になるところはありましたでしょうか。

つまり、わたしは死生観について考える機会が、非常に多かったのです。

わたしのスピリチュアルな興味も、この部分から始まっています。

死生観には、様々なものがあるでしょうが、自分に合った死生観を選択すると、生きるのが楽になるでしょう。

わたしは、あの世があると考えていますが、皆さんはどうでしょうか。

死生観を通じて、生きることに目を向け、ステキな人生を歩んでいきましょう。

それでは、わたしはこの辺で。

かめれもん★でした(^^ゞ

『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとうか?

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?ということについて、考察していきたいと思います。

この記事は、『一寸の虫にも五分の魂』の意味が知りたい方『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?と疑問に感じている方に、おすすめの記事となります。

ぜひ、最後まで見ていただけると幸いです。

それでは、始めていきましょう!

『一寸の虫にも五分の魂』って、どんな意味?

この言葉の意味は、次のようになります。

たとえ、小さな体であったとしても、その体の半分に魂が宿っているという考えであり、弱者に対する強者の戒めたとえ弱者であったとしても・・・のような奮起の意味が込められているようです。

言葉の意味は、なんとなく分かっていたけれど、使い方とかを知ると、そんな意味があるんだ、と発見もありますね!

それでは次に、『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにあるの?ということについて、深く考察していきたいと思います。

『一寸の虫にも五分の魂』って、ほんとにある?

『一寸の虫にも五分の魂』が、ほんとにあるかどうか。

わたしは、あると思っています。

なぜかというと、そう感じるからです。

答えになっていないですかね(笑)。

もう少し言うと、虫に命がないと、どうしてそう言えるのか、ということです。

体験談を交えつつ、具体的に解説していきましょう。

『一寸の虫にも五分の魂』の体験談

例えばですけど、虫を殺した、あるいは、殺すつもりはなかったけれど殺してしまった、殺すしかなかった。

色々あると思います。

殺虫剤で殺そうとした虫が、まだかすかに息をしている、あるいは動いていたとしましょうか。

そのとき、その苦しんでいる姿を見て、悲しくなっている人の心は嘘なのだろうか、ということです。

ここ重要です!

この心こそ、『一寸の虫にも五分の魂』がある証拠ではないのだろうか、とわたしは思うのです。

なぜなら、もし虫に命がないのであれば、別に死んだって、ゴミ箱に放られたり、道端で潰されても、何も思うわけがないのです。

しかし、殺した虫に、何らかの感情が渦巻くということは、どうでもいい命ではないということを、物語っているのです。

これが、『一寸の虫にも五分の魂』の、具体的な証明事例です。

まとめていきます。

おわりに

『一寸の虫にも五分の魂』の意味や使い方を知ることによって、新たな発見や、日常を豊かにもできそうですね。

『一寸の虫にも五分の魂』は、わたしは、幼い頃からそうだと思って生きてきました。

だから、平気で虫を殺す人たちの傍で、楽しんでいる演技?をしなければいけなかったのは、ほんとうに辛かった。

虫を殺して、罪悪感や、ごめんねという感情が渦巻くのは、大切なことです。

もちろん、それに支配されすぎてしまってはいけないと思いますけれど・・・。

この記事で、少しでも、『一寸の虫にも五分の魂』の大切さ、奥深さが分かってもらえると幸いです。

ここまで、読んでいただいた方々、どうもありがとう(^_^)/~

かめれもん★でした(^^ゞ