若者が考える3つの死生観

はじめに

はい、こんにちは。

かめれもん★です(^^ゞ

今回は、若者が考える3つの死生観ということで、個人的な考察ブログになってしまうかもしれませんが、このように死生観を考える若者もいるよ、と分かってもらえる記事になれば、幸いです。

なるべく、普遍性がある内容にしようと、構成を練ったので、参考になるところがあれば、それぞれ好きなように解釈してもらえれば、と思います。

それでは、始めていきましょう!

事例1:田舎で育った若者の死生観

田舎で育っていると、高齢者の方で、天国に旅立たれる人が多い。

小さい頃から、それは日常茶飯事で、昨日親しく話していた誰かが、今日には天国に旅立たれるというのも、よくある話。

そうなってくると、家族の死や、自分の生死について、考えることが必然的に多くなってきます。

街中だと、よく子どもの姿を見かけるので、ここで暮らしている人は、まだ死生観について考えないのかもな、と思ったりもするのです。

つまり、自分にとって、死は身近なもので、生きることや、人生論、今に至ってはスピリチュアルなことに思いを巡らすのは、必然だったのだと思っています。

事例2:若者なりにいじめを受けて育った死生観

いじめといっても、わたしの場合は、かなりキツかった方なのではないか、と思います。

なぜなら、田舎の小さい学校で、小学生だった頃の大半の時期を、いじめられていたからです。

つまり、いじめに遭遇する頻度が、非常に高かった、と言えばよいでしょうか。

命の危機は何度も体験したし、それにどう対処するか、ということばかり考えていました。

そして、生きる意味って何なんだろう?

自分にとって、未来とは?

色々考え、自己肯定感も低く、とても辛い時期でした。

しかし、それはもう過去の話。

今は生きていて、とても嬉しいと思っているし、生きていてよかった!と心から思えます。

あのときの体験が、今の充実した日々を創っているんだろうな、と思います。

いじめられて、悲しいことがあっても、生きていけば、未来という希望を、若者は掴むことができるのです。

事例3:身近な動物や人が亡くなって育った死生観

最近、身近な人や、身近な動物が亡くなって、少し哀しい気持ちになることもあります。

あたりまえの日常が、あたりまえではなく、幸せであったのだと痛感する日々です。

それらは試練として、乗り越えていく覚悟が問われているのだと思います。

そんな中、スピリチュアルな本も読んだりしました。

『生きがいの創造(完全版)』(1,650円↓)

するとやっぱり、あの世はあるとしか思えないし、臨死体験の事例や、眠っているような状態の人が、様々なことを、様々な声で話されたり、身近な人や、ペットも、傍で見守ってくれているんだと、分かるのです。

そして、実際、不思議な体験もしましたし、この世だけじゃなくて、あの世もあるんだろうな、という実感はあります。

目に見えない世界が、存在しているということです。

それでは、まとめに入ります。

おわりに

さて、皆さん参考になるところはありましたでしょうか。

つまり、わたしは死生観について考える機会が、非常に多かったのです。

わたしのスピリチュアルな興味も、この部分から始まっています。

死生観には、様々なものがあるでしょうが、自分に合った死生観を選択すると、生きるのが楽になるでしょう。

わたしは、あの世があると考えていますが、皆さんはどうでしょうか。

死生観を通じて、生きることに目を向け、ステキな人生を歩んでいきましょう。

それでは、わたしはこの辺で。

かめれもん★でした(^^ゞ